読売ジャイアンツの王貞治選手。
世界のホームラン王と言われ、868本のホームラン数は世界記録となっています。
王選手の年俸推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察してみます。
王貞治の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました!
1959年 巨人 プロ入り1年目(19歳) 年棒144万円
成績
94試合 打率.161 7本塁打 25打点 3盗塁 31安打
プロ入り1年目の王選手。
高卒1年目ながら94試合出場。
打率は1割台ながら7本塁打。
翌年の年棒は160万円に上がりました。
1960年 巨人 プロ入り2年目(20歳) 年棒160万円
成績
130試合 打率.270 17本塁打 71打点 5盗塁 115安打
プロ入り2年目の王選手。
この年は高卒2年目ながら、130試合の全試合出場。
打率も2割7分台で17本塁打。
高卒2年目としては素晴らしい成績。
翌年の年棒は300万円に上がりました。
1961年 巨人 プロ入り3年目(21歳) 年棒300万円
成績
127試合 打率.253 13本塁打 53打点 10盗塁 100安打
プロ入り3年目の王選手。
この年は前年より軒並み成績が悪化。
翌年の年棒は400万円に上がりました。
1962年 巨人 プロ入り4年目(22歳) 年棒400万円
成績
134試合 打率.272 38本塁打 85打点 6盗塁 135安打
プロ入り4年目の王選手。
この年は打撃コーチに荒川博が就任。
王の「一本足打法」がシーズン中盤から始まりました。
そして、38本塁打、85打点を挙げ、本塁打と打点の2冠王を獲得。
翌年の年棒は700万円に上がりました。
1963年 巨人 プロ入り5年目(23歳) 年棒700万円
成績
140試合 打率.305 40本塁打 106打点 9盗塁 146安打
プロ入り5年目の王選手。
この年は初の3割超えで40本塁打106打点。
本塁打王のタイトルを獲得。
翌年の年棒は1,000万円まで上がりました。
1964年 巨人 プロ入り6年目(24歳) 年棒1,000万円
成績
140試合 打率.320 55本塁打 119打点 6盗塁 151安打
プロ入り6年目の王選手。
この年は、シーズン最多本塁打記録となる55本塁打(当時)を記録。
本塁打王と打点王の2冠王を獲得。
翌年の年棒は1,440万円に上がりました。
1965年 巨人 プロ入り7年目(25歳) 年棒1,440万円
成績
135試合 打率.322 42本塁打 104打点 2盗塁 138安打
プロ入り7年目の王選手。
この年は前年に引き続き、本塁打と打点の2冠王を獲得。
翌年の年棒は1,700万円に上がりました。
1966年 巨人 プロ入り8年目(26歳) 年棒1,700万円
成績
129試合 打率.311 48本塁打 116打点 9盗塁 123安打
プロ入り8年目の落合選手。
この年も、本塁打と打点の2冠王を獲得。
翌年の年棒は2,200万円に上がりました。
1967年 巨人 プロ入り9年目(27歳) 年棒2,200万円
成績
133試合 打率.326 47本塁打 108打点 3盗塁 139安打
プロ入り9年目の王選手。
この年も本塁打、打点の2冠王。
その他にも、最多出塁数のタイトルを獲得。
翌年の年俸は1,000万円増の3,200万円になりました。
1968年 巨人 プロ入り10年目(28歳) 年俸3,200万円
成績
131試合 打率.326 49本塁打 119打点 5盗塁 144安打
プロ入り10年目の王選手。
この年は自身初の首位打者のタイトルを獲得。
それ以外では、本塁打、最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は3,600万円に上がりました。
1969年 巨人 プロ入り11年目(29歳) 年俸3,600万円
成績
130試合 打率.345 44本塁打 103打点 5盗塁 156安打
プロ入り11年目の王選手。
この年は、首位打者、本塁打王の二冠王を獲得。
その他にも、最多出塁数、最多安打(この時代は連盟表彰なし)のタイトルも獲得。
翌年の年俸は4,080万円に上がりました。
1970年 巨人 プロ入り12年目(30歳) 年俸4,080万円
成績
129試合 打率.325 47本塁打 93打点 1盗塁 138安打
プロ入り12年目の王選手。
この年も、首位打者、本塁打の二冠王。
その他にも、最多出塁数、最多安打(この時代は連盟表彰なし)のタイトルも獲得。
翌年の年俸は4,260万円に上がりました。
1971年 巨人 プロ入り13年目(31歳) 年俸4,260万円
成績
130試合 打率.276 39本塁打 101打点 8盗塁 120安打
プロ入り13年目の王選手。
この年は打率は2割7分台と悪化。
しかし、本塁打と打点の二冠王。
その他にも最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は現状維持の4,260万円になりました。
1972年 巨人 プロ入り14年目(32歳) 年俸4,260万円
成績
130試合 打率.296 48本塁打 120打点 2盗塁 135安打
プロ入り14年目の王選手。
この年も本塁打と打点の二冠王。
その他にも、最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は4,800万円に上がりました。
1973年 巨人 プロ入り15年目(33歳) 年俸4,800万円
成績
130試合 打率.355 51本塁打 114打点 2盗塁 152安打
プロ入り15年目の王選手。
この年は本塁打、打点、打率のタイトルを獲得。
自身初の三冠王になりました。
その他にも、最多出塁数、最多安打(この時代は連盟表彰なし)のタイトルも獲得。
翌年の年俸も5,220万円に上がりました。
1974年 巨人 プロ入り16年目(34歳) 年俸5,220万円
成績
130試合 打率.332 49本塁打 107打点 1盗塁 128安打
プロ入り16年目の王選手。
この年も前年同様、本塁打、打点、打率のタイトルを獲得。
自身二度目の三冠王になりました。
その他にも最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は5,260万円に上がりました。
1975年 巨人 プロ入り17年目(35歳) 年俸5,260万円
成績
128試合 打率.285 33本塁打 96打点 1盗塁 112安打
プロ入り17年目の王選手。
この年は故障の影響もあり前年より成績が軒並み悪化。
13年連続で獲得していた本塁打王のタイトルを逃しました。
しかし、打点王、最多出塁数のタイトルを獲得。
翌年の年俸は現状維持の5,260万円になりました。
1976年 巨人 プロ入り18年目(36歳) 年俸5,260万円
成績
122試合 打率.325 49本塁打 123打点 3盗塁 130安打
プロ入り18年目の王選手。
この年は2年ぶりに本塁打王を奪回。
他にも、打点王と最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は6,300万円に上がりました。
1977年 巨人 プロ入り19年目(37歳) 年俸6,300万円
成績
130試合 打率.324 50本塁打 124打点 1盗塁 140安打
プロ入り19年目の王選手。
この年は50本塁打の大台到達。
本塁打、打点の二冠王を獲得。
その他にも、最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は7,740万円まで上がりました。
1978年 巨人 プロ入り20年目(38歳) 年俸7,740万円
成績
130試合 打率.300 39本塁打 118打点 1盗塁 132安打
プロ入り20年目の王選手。
この年は打点王を獲得。
その他にも最多出塁数のタイトルも獲得。
翌年の年俸は8,140万円に上がりました。
1979年 巨人 プロ入り21年目(39歳) 年俸8,140万円
成績
120試合 打率.285 33本塁打 81打点 1盗塁 116安打
プロ入り21年目の王選手。
この年はタイトルの獲得はなし。
翌年の年俸は8,160万円に上がりました。
1980年 巨人 プロ入り22年目(40歳) 年俸8,160万円
成績
129試合 打率.236 30本塁打 84打点 0盗塁 105安打
プロ入り22年目の王選手。
この年は打率が2割3分台と低迷。
30本塁打、84打点はまずまずの成績ですが、タイトル獲得はなし。
この年限りで現役引退しました。
ビックリなのは、30本塁打放っているのに引退したことです。
通算成績
22年 2831試合 打率.301 868本塁打 2170打点 84盗塁 2786安打
王貞治のプロフィール
生年月日 1940年5月20日
年齢 79歳(2020年3月現在)
出身地 東京府東京市本所区
身長 177cm
体重 79㎏
左投げ左打ち
内野手
早稲田実業高校→読売ジャイアンツ(1959年~1980年)
まとめ
王貞治選手の年棒を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました。
世界の王選手ですから、成績はずば抜けて凄かったことが改めて分かりました。
しかし、時代が時代ですから、年棒は最高で8,160万円。
1億円に届いていません。
おそらく、今の時代なら10倍くらいの価値の年棒だったはずです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。