落合博満選手。
三冠王を3回獲得するなど、球史に名を残す強打者、大打者。
中日ドラゴンズの監督としても、ご活躍されました。
そんな落合選手の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察してみます。
落合博満の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました!
1979年 ロッテ プロ入り1年目(26歳) 年棒360万円
成績
36試合 打率.234 2本塁打 7打点 1盗塁 15安打
プロ入り1年目の落合選手。
打率は2割3分台で15安打2本塁打。
プロ入り即、大活躍とはいきませんでした。
翌年の年棒は現状維持の360万円になりました。
1980年 ロッテ プロ入り2年目(27歳) 年棒360万円
成績
57試合 打率.283 15本塁打 32打点 1盗塁 47安打
プロ入り2年目の落合選手。
徐々にプロにも慣れてきたのか、成績も上昇。
打率は2割8分台で15本塁打。
翌年の年棒も540万円に上がりました。
1981年 ロッテ プロ入り3年目(28歳) 年棒540万円
成績
127試合 打率.326 33本塁打 90打点 6盗塁 138安打
プロ入り3年目の落合選手。
初タイトルとなる首位打者を獲得。
本塁打も30本超えで90打点。
翌年の年棒も1,600万円に大幅昇給しました。
1982年 ロッテ プロ入り4年目(29歳) 年俸1,600万円
成績
128試合 打率.325 32本塁打 99打点 8盗塁 150安打
プロ入り4年目の落合選手。
この年は本塁打、打点、打率の3つのタイトルを獲得。
自身初の三冠王となりました。
それ以外にも、最高出塁率、最多安打(この時代は連盟表彰なし)、最多勝利打点のタイトルも獲得。
翌年の年俸も5,400万円と大幅昇給となりました。
1983年 ロッテ プロ入り5年目(30歳) 年俸5,400万円
成績
119試合 打率.332 25本塁打 75打点 6盗塁 142安打
プロ入り5年目の落合選手。
三冠王を獲った昨年より、本塁打、打点は減少。
しかし、首位打者のタイトルは獲得。
翌年の年俸も5,940万円に上がりました。
1984年 ロッテ プロ入り6年目(31歳) 年俸5,940万円
成績
129試合 打率.314 33本塁打 94打点 8盗塁 143安打
プロ入り6年目の落合選手。
この年はタイトルの獲得はなし。
しかし、3割超え、30本塁打超え、90打点超えの素晴らしい成績。
翌年の年俸は現状維持の5,940万円になりました。
1985年 ロッテ プロ入り7年目(32歳) 年俸5,940万円
成績
130試合 打率.367 52本塁打 146打点 5盗塁 169安打
プロ入り7年目の落合選手。
この年は落合選手の20年間の年度別成績で最高打率・最高本塁打数・最高打点をそれぞれ記録。
正に、キャリアハイとなる1年になりました。
打率・本塁打・打点の三冠王を自身2回目の獲得。
最高出塁率・最多勝利打点のタイトルも獲得しました。
翌年の年棒も9,700万円に大幅に上がりました。
1986年 ロッテ プロ入り8年目(33歳) 年棒9,700万円
成績
123試合 打率.360 50本塁打 116打点 5盗塁 150安打
プロ入り8年目の落合選手。
この年も昨年に引き続き、2年連続三冠王。
自身3回目の三冠王を獲得しました。
それ以外にも最高出塁率のタイトルを獲得。
このオフ、トレードで中日ドラゴンズに移籍します。
1対4(ロッテ・落合博満内野手⇔中日・牛島和彦投手、上川誠二内野手、平沼定晴投手、桑田茂投手)の大型トレード。
翌年の年棒も1億3000万円に大幅昇給。
NPB史上初の1億円プレーヤーになりました。
1987年 中日 プロ入り9年目(34歳) 年棒1億3000万円
成績
125試合 打率.331 28本塁打 85打点 1盗塁 143安打
プロ入り9年目、中日移籍1年目の落合選手。
慣れないセ・リーグのためか、成績は前年より軒並み大幅に悪化。
しかし、打率は3割3分台で、最高出塁率のタイトルも獲得。
翌年の年棒は現状維持の1億3000万円になりました。
1988年 中日 プロ入り10年目(35歳) 年棒1億3000万円
成績
130試合 打率.293 32本塁打 95打点 3盗塁 132安打
プロ入り10年目、中日移籍2年目の落合選手。
この年は7年ぶりに打率が3割を切りました。
しかし、本塁打は30本超えで90打点超え。
最高出塁率・最多勝利打点のタイトルを獲得。
翌年の年俸は現状維持の1億3000万円になりました。
1989年 中日 プロ入り11年目(36歳) 年俸1億3000万円
成績
130試合 打率.321 40本塁打 116打点 4盗塁 153安打
プロ入り11年目、中日移籍3年目の落合選手。
この年は打点王、最多勝利打点(この年は特別賞)のタイトルを獲得。
翌年の年俸は1億6500万円に上がりました。
1990年 中日 プロ入り12年目(37歳) 年俸1億6500万円
成績
131試合 打率.290 34本塁打 102打点 3盗塁 133安打
プロ入り12年目、中日移籍4年目の落合選手。
この年は本塁打王、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。
翌年の年俸は2億2000万円まで上がりました。
1991年 中日 プロ入り13年目(38歳) 年俸2億2000万円
成績
112試合 打率.340 37本塁打 91打点 4盗塁 127安打
プロ入り13年目、中日移籍5年目の落合選手。
この年は打率も3割4分台の好成績。
首位打者のタイトルは獲れませんでしたが、本塁打、最高出塁率のタイトルを獲得。
翌年の年俸は3億円に大幅昇給しました。
1992年 中日 プロ入り14年目(39歳) 年俸3億円
成績
116試合 打率.292 22本塁打 71打点 2盗塁 112安打
プロ入り14年目、中日移籍6年目の落合選手。
この年は打率が2割9分台で本塁打も22本と前年より成績が大幅に悪化。
タイトル獲得もありませんでした。
翌年の年俸も5000万円減の2億5000万円になりました。
1993年 中日 プロ入り15年目(40歳) 年俸2億5000万円
成績
119試合 打率.285 17本塁打 65打点 1盗塁 113安打
プロ入り15年目、中日移籍7年目の落合選手。
打率は2割8分台、本塁打も17本、年齢的な衰えを感じる成績。
しかし、最多勝利打点のタイトル(この年は特別賞)を獲得。
オフには巨人にFA移籍しました。
翌年の年俸はFA移籍もあり、3億8000万円に大幅に上がりました。
1994年 巨人 プロ入り16年目(41歳) 年俸3億8000万円
成績
129試合 打率.280 15本塁打 68打点 0盗塁 125安打
プロ入り16年目、巨人移籍1年目の落合選手。
打率は2割8分台、15本塁打の平凡な記録。
タイトル獲得もありませんでした。
翌年の年俸は3億8000万円の現状維持になりました。
1995年 巨人 プロ入り17年目(42歳) 年俸3億8000万円
成績
117試合 打率.311 17本塁打 65打点 1盗塁 124安打
プロ入り17年目、巨人移籍2年目の落合選手。
この年は打率は3割超えも、本塁打は17本の平凡な成績。
タイトル獲得もありませんでした。
翌年の年俸は現状維持の3億8000万円になりました。
1996年 巨人 プロ入り18年目(43歳) 年俸3億8000万円
成績
106試合 打率.301 21本塁打 86打点 3盗塁 113安打
プロ入り18年目、巨人移籍3年目の落合選手。
この年は打率も3割超えで21本塁打86打点。
タイトルは獲れませんでしたが、前年より軒並み成績が上がりました。
43歳で、この成績は素晴らしいと思います。
しかし、オフには自由契約を申し出て日本ハムに移籍。
翌年の年俸は3億円に下がりました。
1997年 日本ハム プロ入り19年目(44歳) 年俸3億円
成績
113試合 打率.262 3本塁打 43打点 3盗塁 104安打
プロ入り19年目、日本ハム移籍1年目の落合選手。
この年は打率は2割6分台で本塁打は3本。
寂しい成績に終わりました。
翌年の年俸は現状維持の3億円になりました。
1998年 日本ハム プロ入り20年目(45歳) 年俸3億円
成績
59試合 打率.235 2本塁打 18打点 0盗塁 38安打
プロ入り20年目、日本ハム移籍2年目の落合選手。
この年は59試合の出場に終わり、2本塁打のみ。
この年限りで現役を引退しました。
通算成績
20年 2236試合 打率.311 510本塁打 1564打点 65盗塁 2371安打
落合博満のプロフィール
生年月日 1953年12月9日
年齢 66歳
出身地 秋田県南秋田郡若美町
身長 178cm
体重 82kg
右投げ右打ち
内野手
秋田工業高校(秋田)→東洋大学(中退)→東芝府中→ロッテオリオンズ・ドラフト3位(1979年~1986年)→中日ドラゴンズ(1987年~1993年)→読売ジャイアンツ(1994年~1996年)→日本ハムファイターズ(1997年~1998年)
まとめ
落合博満選手の年度別過去成績と年俸推移を照らし合わせて考察しました。
史上初の1億円プレーヤーとなった落合選手。
それに見合うだけの立派な成績を残した選手でした。
また、落合選手が凄いのはプロ入りの年齢(26歳)が遅かったにも関わらず、2000本安打を達成した事。
40歳を超えてからも素晴らしい成績を残し、45歳までプレーしました。
プロでのデビューはかなり遅かったですが、20年間に渡り長く活躍されたと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。