清原和博選手。
西武ライオンズ、読売ジャイアンツ、オリックスバファローズで活躍した強打者です。
「無冠の帝王」と呼ばれ、打撃三部門である打率・打点・本塁打のタイトルは一度も獲得出来ませんでした。
しかし、2000本安打を達成し名球会入り。
清原和博選手の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察してみます。
清原和博の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました!
1986年 西武 プロ入り1年目(19歳) 年棒600万円
成績
126試合 打率.304 31本塁打 78打点 6盗塁 123安打
プロ入り1年目の清原選手。
高卒1年目にもかかわらず、3割30本塁打超え。
高卒1年目でしたが、プロの壁を感じさせない大活躍。
新人王のタイトルも獲得。
翌年の年棒は2,200万円に大幅昇給しました。
1987年 西武 プロ入り2年目(20歳) 年棒2,200万円
成績
130試合 打率.259 29本塁打 83打点 11盗塁 115安打
プロ入り2年目の清原選手。
前年の活躍で他球団も研究してきたのか、打率が大幅に悪化。
しかし、2年目のジンクスという程の不振には至りませんでした。
翌年の年棒は3,000万円に上がりました。
1988年 西武 プロ入り3年目(21歳) 年棒3,000万円
成績
130試合 打率.286 31本塁打 77打点 5盗塁 129安打
プロ入り3年目の清原選手。
この年は、打率は2割8分台ですが31本塁打。
勝利打点は15個で最多勝利打点のタイトルを獲得。
翌年の年棒は5,300万円に上がりました。
1989年 西武 プロ入り4年目(22歳) 年棒5,300万円
成績
128試合 打率.283 35本塁打 92打点 7盗塁 126安打
プロ入り4年目の清原選手。
この年は35本塁打、92打点の好成績。
翌年の年棒は6,800万円に上がりました。
1990年 西武 プロ入り5年目(23歳) 年棒6,800万円
成績
129試合 打率.307 37本塁打 94打点 11盗塁 134安打
プロ入り5年目の清原選手。
この年は打率は3割超えで、37本塁打、94打点の好成績。
最高出塁率のタイトルも獲得。
翌年の年棒は大台の1億円になりました。
1991年 西武 プロ入り6年目(24歳) 年棒1億円
成績
126試合 打率.270 23本塁打 79打点 3盗塁 121安打
プロ入り6年目の清原選手。
この年は前年より軒並み成績が悪化。
本塁打は23本しか打てませんでした。
翌年の年棒は現状維持の1億円になりました。
1992年 西武 プロ入り7年目(25歳) 年棒1億円
成績
129試合 打率.289 36本塁打 96打点 5盗塁 134安打
プロ入り7年目の清原選手。
この年は36本塁打、96打点の好成績。
最高出塁率のタイトルも獲得。
翌年の年棒は1億2800万円に上がりました。
1993年 西武 プロ入り8年目(26歳) 年棒1億2800万円
成績
128試合 打率.268 25本塁打 75打点 3盗塁 120安打
プロ入り8年目の清原選手。
この年は前年より軒並み成績が悪化。
25本塁打しか打てませんでした。
しかし、翌年の年棒は1億6600万円に上がりました。
1994年 西武 プロ入り9年目(27歳) 年棒1億6600万円
成績
129試合 打率.279 26本塁打 93打点 5盗塁 127安打
プロ入り9年目の清原選手。
この年は26本塁打しか打てませんでしたが、93打点。
翌年の年棒は2億5000万円に大幅昇給しました。
1995年 西武 プロ入り10年目(28歳) 年棒2億5000万円
成績
118試合 打率.245 25本塁打 64打点 2盗塁 99安打
プロ入り10年目の清原選手。
この年は故障もあり、打率が2割4分台と不本意なシーズン。
翌年の年棒は2億4000万円に下がりました。
1996年 西武 プロ入り11年目(29歳) 年棒2億4000万円
成績
130試合 打率.257 31本塁打 84打点 0盗塁 125安打
プロ入り11年目の清原選手。
この年は30本塁打超え、80打点超えのまずまずの成績。
しかし、オフには巨人にFA移籍。
翌年の年棒は3億6000万円に大幅昇給しました。
1997年 巨人 プロ入り12年目(30歳) 年棒3億6000万円
成績
130試合 打率.249 32本塁打 95打点 0盗塁 115安打
プロ入り12年目、巨人移籍1年目の清原選手。
この年は打率は2割4分台と良くありませんでしたが、32本塁打、95打点は及第点。
翌年の年棒は3億3000万円に下がりました。
3億6000万円の年棒に対しての成績と考えると、減棒は仕方ないかもしれません。
1998年 巨人 プロ入り13年目(31歳) 年棒3億3000万円
成績
116試合 打率.268 23本塁打 80打点 1盗塁 103安打
プロ入り13年目、巨人移籍2年目の清原選手。
この年は打率は2割6分台、23本塁打、80打点の平凡な成績。
翌年の年棒は現状維持の3億3000万円になりました。
1999年 巨人 プロ入り14年目(32歳) 年棒3億3000万円
成績
86試合 打率.236 13本塁打 46打点 0盗塁 62安打
プロ入り14年目、巨人移籍3年目の清原選手。
この年は怪我もあり、86試合しか出場できず。
打率も2割3分台、13本塁打、46打点と散々な成績。
翌年の年棒は2億8000万円まで大幅に下がりました。
2000年 巨人 プロ入り15年目(33歳) 年棒2億8000万円
成績
75試合 打率.296 16本塁打 54打点 0盗塁 64安打
プロ入り15年目の清原選手。
この年は開幕から怪我もあり2軍スタート。
75試合しか出場できませんでしたが、後半に復活。
翌年の年棒は3億円に上がりました。
2001年 巨人 プロ入り16年目(34歳) 年棒3億円
成績
134試合 打率.298 29本塁打 121打点 0盗塁 139安打
プロ入り16年目の清原選手。
この年は134試合に出場し、打率も3割まであと一歩。
29本塁打、そして、自身のキャリアハイとなる121打点。
翌年の年棒は4億5000万円と大幅に上がりました。
2002年 巨人 プロ入り17年目(35歳) 年棒4億5000万円
成績
55試合 打率.318 12本塁打 33打点 0盗塁 47安打
プロ入り17年目、巨人移籍6年目の清原選手。
この年は故障もあり55試合しか出場出来ませんでした。
しかし、打率は3割超え、12本塁打、試合数は少ないですが、ある程度の数字は残しました。
翌年の年俸は現状維持の4億5000万円になりました。
2003年 巨人 プロ入り18年目(36歳) 年俸4億5000万円
成績
114試合 打率.290 26本塁打 68打点 0盗塁 99安打
プロ入り18年目、巨人移籍7年目の清原選手。
この年は114試合に出場し、打率も2割9分、26本塁打、68打点のまずまずの成績。
翌年の年俸は現状維持の4億5000万円になりました。
2004年 巨人 プロ入り19年目(37歳) 年俸4億5000万円
成績
40試合 打率.228 12本塁打 27打点 0盗塁 23安打
プロ入り19年目の清原選手。
この年は40試合しか出場出来ませんでした。
打率も2割2分台、12本塁打と成績も良くありませんでした。
翌年の年俸は3億6000万円に大幅に下がりました。
2005年 巨人 プロ入り20年目(38歳) 年俸3億6000万円
成績
96試合 打率.212 22本塁打 52打点 0盗塁 68安打
プロ入り20年目の清原選手。
この年は前年より成績は上昇。
打率は2割1分台ですが、22本塁打。
しかし、オフには戦力外通告を受け、オリックスに移籍。
翌年の年俸は2億5000万円に下がりました。
2006年 オリックス プロ入り21年目(39歳) 年俸2億5000万円
成績
67試合 打率.222 11本塁打 36打点 0盗塁 45安打
プロ入り21年目、オリックス移籍1年目の清原選手。
この年は67試合の出場。
打率は2割2分台、11本塁打と結果は残せませんでした。
翌年の年俸は現状維持の2億5000万円になりました。
2007年 オリックス プロ入り22年目(40歳) 年俸2億5000万円
成績
1軍出場なし
プロ入り22年目の清原選手。
この年は怪我もあり、1軍出場はなし。
翌年の年俸は1億5000万円に下がりました。
2008年 オリックス プロ入り23年目(41歳) 年俸1億5000万円
成績
22試合 打率.182 0本塁打 3打点 0盗塁 4安打
プロ入り23年目、オリックス移籍3年目の清原選手。
この年は22試合の出場で打率は1割8分台。
本塁打は1本も打てませんでした。
この年限りで、引退しました。
通算成績
まとめ
清原和博選手の年俸推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました。
「無冠の帝王」と呼ばれ、打撃3冠(本塁打・打点・打率)のタイトルとは無縁だった清原選手。
しかし、2000本安打を達成し、通算本塁打は歴代5位。
球史に名を残す名選手となりました。
また、それに見合う年俸も獲得し、最高年俸は4億5000万円でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。