落合博満選手。
ロッテ、中日、巨人、日本ハムなどで活躍された大打者。
落合選手は、なぜ、名球会入りを拒否・辞退したのでしょうか?
今回は、その理由を考えてみたいと思います。
①金田正一さんとの不仲
まず、落合博満選手が名球会入りを拒否・辞退した理由の一つ目は「金田正一」さんとの不仲です。
これは、考えられる最も大きな原因だと言われています。
落合選手と金田正一さんが、なぜ、不仲だったのか?と言うと・・・。
それは、落合さんがロッテ入団当初、元ロッテ監督だった金田さんに打撃フォームを批判されたことが発端です。
その金田さんの酷評に対し、落合選手は次のように言いました。
「俺は社会人もやってプロ入りしたから何ともなかったが、もし、高校出の若い選手があんな偉い人からプロに入っていきなり言われたら潰れるだろ」
また、プロ入り2年目の頃は、こうも言っています。
「将来、たとえ、2000本安打とか打てたとしても、名球会には入らない」
金田さんは名球会の重鎮で名球会を作った人とも言われています。
なので、落合選手からすると、金田さんがいる名球会には入りたくないと思ったんでしょう。
落合選手は入団2年目に「名球会には入らない」と言っています。
そんな若い頃、まだ、2000本安打も打てるかどうかも分からない頃に言ってるんです。
よほどの不仲だったことが想像されます。
そんなことから、落合選手が名球会入りを拒否・辞退した理由の1つに「金田正一さんとの不仲」が考えられます。
②一匹狼の落合選手は群がるのが嫌だった
落合博満が語る今年の中日ドラゴンズ#プロ野球#中日ドラゴンズ#落合博満#スカパー pic.twitter.com/xItS1MO4Dc
— しゅんたやきうどーが🐉 (@Dragons61Syunta) March 22, 2018
次に、落合選手が名球会入りを拒否・辞退した理由は「一匹狼だったから」です。
これは、落合選手の性格的なことになるんですが。
落合選手は学生時代から一匹狼だったようです。
高校時代、高校は秋田の秋田工業高校ですが。
落合選手は練習にはほとんど参加せず、試合にだけ出場するといった感じだったようです。
団体行動が苦手だったんでしょう。
また、大学時代も同じだったようです。
なので、半年で野球部を退部し、大学も中退しています。
そんな、落合選手ですから、名球会といった団体にも所属するのが煩わしかったのかもしれません。
もし、金田さんがいなかったとしても、名球会には入っていなかった可能性はあったと思います。
落合博満のプロフィール
【 野村克也 × 落合博満 】
野村克也
「俺はまぐれで三冠王、彼は実力で三冠王。俺の価値を下げた人だからさw」「人づくりは監督の使命」
「野球とは頭のスポーツ」#野村克也 #dragons #落合博満 pic.twitter.com/qOTEPnHINK
— おいコー🌟55▶️未定 (@Victory_Cyclone) February 16, 2020
生年月日 1953年12月9日
年齢 66歳(2020年5月現在)
出身地 秋田県
身長 178㎝
体重 82㎏
ポジション 内野手
右投げ右打ち
秋田県立秋田工業高校→東洋大学(中退)→東芝府中→ロッテオリオンズ・ドラフト3位(1979年~1986年)→中日ドラゴンズ(1987年~1993年)→読売ジャイアンツ(1994年~1996年)→日本ハムファイターズ(1997年~1998年)
監督:中日ドラゴンズ(2004年~2011年)
こちらに記事のも詳しく書いています→落合博満の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました!
まとめ
落合博満選手は清原の甘さを見抜いてた。
「技術」を極めた人には心が読めるようになるのかもしれない。 pic.twitter.com/b22fFxtNDk
— yas.理想の打撃 −Yasuhito Suzuki− (@risounodageki) May 4, 2020
今回は、落合選手が名球会入りを拒否・辞退した理由を考えてみました。
一つは「金田正一さんがいたこと」、もう一つは「一匹狼だったこと」が考えられます。
また、落合博満選手、名球会については、
落合博満の年棒推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました!
名球会の入会基準とは?ホームランや投手の成績に見直しは必要か?
にも書いていますので、良かったら見てください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。