古田敦也選手。
ヤクルトスワローズの捕手で、歴史に名を残す名キャッチャーとなりました。
古田敦也選手の年俸推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察してみます。
古田敦也の年俸推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察
1990年 ヤクルト プロ入り1年目(25歳) 年俸700万円 チーム成績(セ・リーグ5位)
成績
106試合 打率.250 3本塁打 26打点 1盗塁 70安打
プロ入り1年目の古田選手。
1年目の捕手ではありますが、106試合と100試合超えの出場。
捕手で打率.250は、なかなかの成績だと思います。
翌年の年俸は1,920万円に上がりました。
1991年 ヤクルト プロ入り2年目(26歳) 年俸1,920万円 チーム成績(セ・リーグ3位)
成績
128試合 打率.340 11本塁打 50打点 4盗塁 140安打
プロ入り2年目の古田選手。
この年は、首位打者のタイトルを獲得。
翌年の年俸は6,000万円に大幅に上がりました。
1992年 ヤクルト プロ入り3年目(27歳) 年俸6,000万円 チーム成績(セ・リーグ優勝、日本シリーズは西武ライオンズに敗退)
成績
131試合 打率.316 30本塁打 86打点 3盗塁 150安打
プロ入り3年目の古田選手。
この年は打率3割超え、30本塁打。
リーグ優勝もしました。
翌年の年俸は、1億1500万円に大幅昇給。
やはり、古田選手の場合は捕手ですから、他の選手よりチーム成績が年俸に反映されるのかも知れません。
1993年 ヤクルト プロ入り4年目(28歳) 年俸1億1500万円 チーム成績(セ・リーグ優勝、日本シリーズも西武ライオンズに勝利し日本一)
成績
132試合 打率.308 17本塁打 75打点 11盗塁 161安打
プロ入り4年目の古田選手。
この年は161安打で最多安打のタイトルを獲得。
リーグ優勝、日本一にもなりました。
翌年の年俸は、1億8000万円に上がりました。
1994年 ヤクルト プロ入り5年目(29歳) 年俸1億8000万円 チーム成績(セ・リーグ4位)
成績
76試合 打率.238 3本塁打 19打点 3盗塁 62安打
プロ入り5年目の古田選手。
この年は怪我があり76試合しか出場出来ませんでした。
成績も大幅悪化。
チームも優勝を逃し4位に低迷。
翌年の年俸は、1億6800万円に下がりました。
1995年 ヤクルト プロ入り6年目(30歳) 年俸1億6800万円 チーム成績(セ・リーグ優勝、日本シリーズもオリックス・バファローズに勝利し日本一)
成績
130試合 打率.294 21本塁打 76打点 6盗塁 143安打
プロ入り6年目の古田選手。
前年は不本意な成績に終わりましたが、この年は見事な活躍。
リーグ優勝、日本一も達成。
翌年の年俸は、1億8000万円に上がりました。
1996年 ヤクルト プロ入り7年目(31歳) 年俸1億8000万円 チーム成績(セ・リーグ4位)
成績
119試合 打率.256 11本塁打 72打点 5盗塁 112安打
プロ入り7年目の古田選手。
この年は119試合の出場ですが、打率は2割5分台。
チームも優勝を逃しリーグ4位。
しかし、翌年の年俸は2億円に上がりました。
1997年 ヤクルト プロ入り8年目(32歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ優勝、日本シリーズも西武ライオンズに勝利し日本一)
成績
137試合 打率.322 9本塁打 86打点 9盗塁 164安打
プロ入り8年目の古田選手。
この年は打率も3割超え。
リーグ優勝、日本一も達成。
しかし、翌年の年俸は現状維持の2億円になりました。
1998年 ヤクルト プロ入り9年目(33歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ4位)
成績
132試合 打率.275 9本塁打 63打点 5盗塁 135安打
プロ入り9年目の古田選手。
この年は打率も2割7分台。
リーグ優勝を逃し4位に終わりました。
しかし、翌年から5年の複数年契約が開始し、年俸は現状維持の2億円になりました。
1999年 ヤクルト プロ入り10年目(34歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ4位)
成績
128試合 打率.302 13本塁打 71打点 10盗塁 146安打
プロ入り10年目の古田選手。
この年は打率も3割超え。
しかし、セ・リーグ4位。
翌年の年俸は複数年契約のため現状維持の2億円になりました。
2000年 ヤクルト プロ入り11年目(35歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ4位)
成績
134試合 打率.278 14本塁打 64打点 5盗塁 138安打
プロ入り11年目の古田選手。
この年は打率は2割7分台。
チームもセ・リーグ4位に終わりました。
翌年の年俸は複数年契約のため、現状維持の2億円になりました。
2001年 ヤクルト プロ入り12年目(36歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ優勝、日本シリーズも近鉄に勝利し日本一)
成績
121試合 打率.324 15本塁打 66打点 1盗塁 143安打
プロ入り12年目の古田選手。
この年は打率も3割2分超えの好成績。
チームもリーグ優勝、日本一。
翌年の年俸は複数年契約のため現状維持の2億円になりました。
2002年 ヤクルト プロ入り13年目(37歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ2位)
成績
120試合 打率.300 9本塁打 60打点 3盗塁 126安打
プロ入り13年目の古田選手。
この年は打率は3割ちょうど。
チーム成績はセ・リーグ2位。
翌年の年俸は複数年契約のため現状維持の2億円になりました。
2003年 ヤクルト プロ入り14年目(38歳) 年俸2億円 チーム成績(セ・リーグ3位)
成績
139試合 打率.287 23本塁打 75打点 2盗塁 146安打
プロ入り14年目の古田選手。
この年は打率は2割8分台ですが、23本塁打、75打点。
チームはセ・リーグ3位になりました。
翌年の年俸は3億円に上がりました。
2004年 ヤクルト プロ入り15年目(39歳) 年俸3億円 チーム成績(セ・リーグ2位)
成績
133試合 打率.306 24本塁打 79打点 1盗塁 148安打
プロ入り15年目の古田選手。
この年は打率は3割超え、本塁打も20本超えの好成績。
セ・リーグ順位も2位。
翌年の年俸は現状維持の3億円になりました。
2005年 ヤクルト プロ入り16年目(40歳) 年俸3億円 チーム成績(セ・リーグ4位)
成績
96試合 打率.258 5本塁打 33打点 1盗塁 85安打
プロ入り16年目の古田選手。
この年は怪我もあり、96試合しか出場出来ませんでした。
打率も2割5分台で5本塁打と成績も低迷。
チームもセ・リーグ4位に終わってしまいました。
そして、古田選手は翌年から選手兼任監督になります。
選手(1年契約)としての年俸は6000万円ダウンの2億4000万円、監督(2年契約)としての年俸は1億円。
翌年の年俸は合計3億4000万円になりました。
2006年 東京ヤクルト プロ入り17年目(41歳) 年俸3億4000万円(選手:2億4000万円、監督:1億円) チーム成績(セ・リーグ3位)
成績
36試合 打率.244 0本塁打 8打点 0盗塁 22安打
プロ入り17年目の古田選手。
この年は選手兼任監督1年目。
36試合しか出場せず、打率も2割4分台で0本塁打。
チーム成績はセ・リーグ3位。
翌年の年棒は選手としては大幅減の6,000万円。
監督としては現状維持の1億円。
合計1億6000万円になりました。
2007年 東京ヤクルト プロ入り18年目(42歳) 年棒1億6000万円(選手:6000万円、監督:1億円) チーム成績(セ・リーグ6位)
成績
10試合 打率.333 0本塁打 0打点 0盗塁 6安打
プロ入り18年目の古田選手。
選手兼任監督2年目でしたがチームは最下位。
古田選手自身も10試合しか出場出来ませんでした。
この年限りで、現役引退、監督としても退団しました。
通算成績
18年間のプロ野球生活。
大卒から社会人を経てのプロ入り選手で初の2000本安打達成。
球史に名を残す名選手となりました。
しかも、捕手での2000本安打は野村克也さん以来、史上2人目。
5度のリーグ優勝、4度の日本一にも大貢献。
ヤクルトの黄金時代を築きました。
おそらく、古田選手がいなければ、ヤクルトの黄金時代は無かったでしょう。
古田敦也のプロフィール
生年月日 1965年8月6日
年齢 54歳(2020年4月現在)
出身地 兵庫県川西市
右投げ右打ち
捕手
身長 182cm
体重 80㎏
兵庫県立川西明峰高等学校→立命館大学→トヨタ自動車→ヤクルトスワローズ・ドラフト2位(1990年~2005年)→東京ヤクルトスワローズ(2006年~2007年)
まとめ
古田敦也選手の年俸推移を年度別過去成績と照らし合わせて考察しました。
捕手ながら2000本安打を達成し、5度のリーグ優勝、4度の日本一。
古田選手の活躍がチームの成績に比例するようなチームの中心選手でした。
選手としての年俸は複数年契約が多かった為か、最高で3億円。
複数年契約を結んでいなければ、もっと高年俸だったかも?と思ったりします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。